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いじめ・パワハラにあったら考えること

私は小学校から高校までイジメに合い、社会に出てからはパワハラを受けています。

30数年を生きてきて当時イジメにあっていたらどうすべきだったか、今パワハラにあっていてどうしようと思っているのか。今回はイジメやパワハラにあってる人に向けて自分の経験を話そうと思います

誰かが救ってくれるわけではない

まずこれが第一です。イジメやパワハラを受けて思ったことは、基本的に誰も助けてはくれないということです。私は学生の頃、ノートや上靴に落書きされたり集団で暴行されたり身体的な特徴を侮辱されたりしました。このことは当時の先生にも相談をしましたが、結局何もしてくれませんでした。

会社に入ってからは上司がマウントするために使えないと馬鹿にされ、その一方で雑務や他の人の仕事まで押し付けられたりと都合の良い人として扱われてきました。

私は何で頑張っているのに、こんな苦しいんだろうと考えたとき、世の中の法則に気づきました。学校では真面目であること、人と仲良く協調性を持つことを大切だと教わりますが、なぜ大切だと教えるかというとそれは使役する側が管理しやすいからというものです。

自分が真面目であること我慢すること喧嘩をしないことで誰が得をするかと言ったら自分ではなく相手なんですよね。

不真面目であれとか人と対立しようというわけではありませんが、わざわざ自分をイジメてくる人に対して誠実である必要もないし物事すべての期待に応えて全力でやらなくてもいいということです。

2対6対2の法則

この法則は人間関係でよく言われているものです。自分が出会う人の中で2割はあなたのことを好いてくれる。次に6割はあなたのことに関心がなく、残りの2割は貴方のことを嫌ってくる人です。

天皇陛下だろうが総理大臣だろうがアイドルや芸能人だろうがアンチは必ず存在します。それなのに自分はすべての人に好かれようだなんて無理だと思いませんか?疲れませんか?嫌ってくる人たちのために都合よく自分の人生を使われて苦しくありませんか?

人生は有限です。だからこそ自分を好いてくれる人と楽しい思い出を作ったほうが有益じゃありませんか?それから加藤諦三さんという人がこんな言葉を残しています。「今あなたが休むことであなたを蔑視する人がいれば、その人はあなたが頑張ってる時に搾取する人である」

あなたはそんな人のために時間を使いたいと思いますか?

諸行無常

これは仏教の言葉ですが、私が人生で辛い時によく思う言葉です。

今イジメやパワハラに合っていたとしても、いつかイジメっ子やパワハラ上司とは縁が切れる時が来ます。人生に永遠はありません。例えば日記をつけていなければ、昨年の今日あなたは何に悩んでいたか思い出せますか?何を言われて怒ったのか言える人はなかなかいないと思います。

私も長いことイジメを受けていましたが、当時の記憶を思い出すことは時間が経つと減るようになりました。だから、もし嫌なことから離れることが出来たら、思い出すようなものはなるべく遠ざけることで自己嫌悪する機会を減らすことができると思います。

自分の力・スキルを身に着ける

イジメやパワハラの悩みを検索すると大体は逃げていいとか会社を辞めてもいい。というサイトがたくさんあります。でも自分は無責任じゃないかと思います。その人の人生を保証できるわけではないのに軽々しく他人が言うことではないと思います。

私が思うのは力やスキルを身に着けようということです。残念ながら、この世の中で生きていくと、どうしてもあなたを攻撃したり邪魔してくるような人は現れます。

その人たちに対策するには自分が強くなること優位になることしかありません。世の中は資本主義である限り、他人と競争して蹴落とすのが今の社会です。

だから自分が嫌だ嫌だと言っても向こうから貴方を利用しようとか騙そうとか都合よく考える人が寄ってきてしまいます。一時的に引きこもったり会社を辞めることは否定しません。ただ最終的には戦うしかないんです。そのためにどうすればいいか、自分に合う武器(戦略や生き方)を作るしかないんです。

イジメにあったら、武道を習ってみる。他にいじめられてる人と仲間になって対抗する人数を増やす。そして反撃する意思を見せましょう。ボイスレコーダーやスマホで録画が出来るならSNSにあげましょう。

職場でパワハラに合っているなら、異動なり転職を考えつつ、自分が独立して生きていけるスキルを身に着けるか資産運用して働かなくても生きていけるようにする必要があります。

他人は変わりません。だから他人に期待せず自分を当てにしてください。

自分の人生は自分でしか助けられません。