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もしもアドラーが上司だったら(感想)

今日はタイトルの本を読書しました

私は「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」を読んでおりアドラー心理学を考え方に取り入れることによって、ある程度生きやすくなる本だと思っています

本は営業でなかなか成績が伸びない会社員と新しく異動してきた

アドラー的な考え方を持つドラさんという上司が出会うことから始まります

「嫌われる勇気」と同じパターンなので読んでいる方はそちらと同じだと思ってください

本書を読んで大切だと思った感想です

できていないことに注目するのではなく出来ていることに注目すること

これは物事をネガティブな面からポジティブな面のほうを意識しようということです

出来ていることがあるのに出来ていないことばかりに注目し

出来ていることは当たり前だと判断してしまう

結果として自分は常にダメな部分をフォーカスし自信がなくなってしまいます

無理やりポジティブに考えない                   ネガティブなことをなかったことにしない

これは私も体験があるのですが仕事に対して嫌なことがあったとしても

仕事楽しい仕事サイコー!!などと自己暗示をかけてみたことがあったのです

やっている途中でまあ馬鹿らしくなり

むしろその反動でさらに仕事が嫌になったことがありました

また仕事で失敗した場合に無理やり良いことだと考えず

失敗をしたことは一旦受け入れる。

それはそれとしてこの失敗を経験として今後どうしていくかという

考えに持っていった方がダメな自分で合っても受け入れる自己受容を持てるということです

やりたくないことはやらない

これは正直難しい話です。本書では例としてダイエットしたい

といいつつ食べているのは単に食べたいというだけ

仕事が山積みでやりたくないといっている主人公に対しては

それをやらなければ給料が下がるクビになるなど後々さらに面倒なことが起こる

だから山積みの仕事をやりたいんだ。やらなきゃいけないのではない

だから自分で自己決定して行っているという自覚を持つこと

そうでなければ人生は育った環境や家庭に左右されたものになってしまうだろうと書かれています

ここで引っ掛かりました

今は親ガチャなんて言葉もありますが、運動神経や学力などは殆どが親の遺伝で決まっていると言われています。

やらされてる感で仕事をしているより自分で決めていると考えて人生を生きた方が確かに健全でしょう。しかし私はキレイごとに感じてしまいました。

能力がある人なら自分の人生を決定する生き方はあっているでしょう。でも平均より劣っている人は存在します。仕事がまともに出来ない人は存在するのです。そんな人がやりたくないからやらないと言っていれば最後は生活保護しかありません

機能価値と存在価値

機能価値は会社でどれくらい稼げるか地位があるかフォロワーが何人いるかなどの社会的能力です。一方で存在価値とは会社で馬鹿にされていようが失敗していようがニートだろうが貴方には価値があるよというものです。

機能価値は社会から相対的に評価されることでわかるものですが存在価値というのはどう判断するのか気になりました

結論として根拠なく自らを認めることとありましたが。これが出来たら苦労しないよって思ってしまいますね。自分は大丈夫だ。なんとかなると思って生きている方は確かにいます。それはきっと幼少期の家庭で築かれたものでしょうが、逆に言えば自分はダメなんだ何か与えなきゃ価値がないんだと思わされるのも家庭環境だったりします。

ダメな自分をありのまま受け入れる不完全であることを受け入れる

これを一個人で考え方を修正するのはなかなか難しいのではないでしょうか?

メンターやカウンセリングの必要があると思いました

まとめ

アドラー心理学はいくつか読んでいますが課題の分離というのが私はまだまだ出来ていないと思います。他人の顔色を窺い強く言えない。それは嫌うかどうかは相手の課題だということを意識出ていないということです。

これはもう個性として治せないじゃないかと思ってしまいます。

だから一人でもあなたは大丈夫だよと味方してくれる人がいれば違うと思いますが

そのためには自分がまず与えるギバーでなければ他人から認められるのは難しいでしょう

また同時にギバーを利用するテイカーが寄ってくることも嫌なのです